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Story.1

宮大工・立川流の系譜を迎えて生まれた三村貴金属店

三村貴金属店のルーツは江戸初期に遡ります。1626(寛永3)年、流罪の身となっていた徳川家康の六男・松平忠輝公が諏訪へやってきた際、家老として帯同していたのが三村家でした。忠輝公がこの世を去った後は、諏訪の地で町民として暮らしていました。
そんな三村家が今につながる家業を始めたのは明治のこと。きっかけは宮大工・立川流の系譜である昌三郎を養子に迎えたことでした。建築彫刻に長けた祖父、彫金職人であった父の元に生まれた昌三郎は、鍛金で才能を開花。「文展」「帝展」など名前を変えながら続く国内最大規模の総合美術展、現在の「日展」で入選作家になるほどの腕となっていきます。
昌三郎を迎えた三村家は、1907(明治40)年に三村貴金属店の前身となる三村製作所を開業。金属製品の製作を行うようになります。1919(大正8)年に当時の皇太子殿下(後の昭和天皇)に献上したタバコ入れをはじめ、花瓶や水差し、香炉など、昌三郎がさまざまな作品を手がけていたことが記録からうかがえます。

Story.2

城下町とお城をつなぐ武家地から駅前商店街へ

三村貴金属店は上諏訪駅から徒歩5分ほど、旧甲州街道(国道20号)沿いにあります。
現在では上諏訪駅近くの商店街通りとなっているこのエリアは、江戸時代には城下町から諏訪藩のお城・高島城へ通じる入り口がある場所でした。三村貴金属店の建物があるのもかつての武家地(武家の居住地域)です。
三村家がこの地に店を構えるようになったのは江戸末期のことと伝えられています。それまでは、甲州街道の東にある裏町通りと呼ばれる通りで豆腐屋を営んでいました。武家屋敷だったこの場所で、三村家は「正木屋」という料亭を開きます。その後、明治末に料亭を閉めて誕生したのが三村製作所、現在の三村貴金属店です。お城と城下町をつなぐ武家屋敷の時代から、明治維新、1905(明治38)年の上諏訪駅開業、戦後と、三村家の人々は変わりゆく諏訪の町を百数十年にわたってこの場所で見てきたのです。

Story.3

諏訪の町を彩った看板建築

2011年に国の登録有形文化財に指定された三村貴金属店の店舗。この建物ができたのは昭和初期のことです。
貴金属店の創業当初は料亭時代から引き継いだ町家形式の武家屋敷を店舗兼住宅として使っていましたが、1926(大正15)年4月に火事で焼失。1928(昭和3)年に現在の建物が竣工しました。
特徴的なのは、関東大震災後に流行した「看板建築」と呼ばれる様式。建物の正面側(ファサード)を銅板やモルタルなどで覆って洋風に見せる形で、建物自体が看板のように見えることからこの名前で呼ばれるようになりました。看板建築は関東大震災後に流行し、諏訪でも三村貴金属店だけでなく、この時期に建てられた建物のほとんどがこの形態でした。
三村貴金属店は三村昌三郎とその弟で宮内庁御用達の彫金作家・府川開示が共作でデザインしたと伝わっています。屋号を囲むような中央の半円アーチやアーチ内の放射状のリブ、庇などは東京駅の各入り口上部によく似ています。東京でも活躍していた2人の経歴を考えると、やはり影響もあったのではないでしょうか。